藤棚 40
玲の髪を見下ろしながらその指の動きを見つめる。華麗なるカデンツァ部分では小さな指が踊るように見事に鍵盤を弾いた。俺は密かに舌を巻いた。上手いなと思う。粒の揃った音に跳ねるように進むメロディー。コンセルの兄とセッションしつくした見事な腕前だと思う。でも、とその旋律を追いながら俺は感嘆しつつ苛立ってる。俺が欲しいのはそれじゃない。甘い前世代を彷彿とさせる音じゃない。玲はわかってるはずだ。俺が欲しいのは、とG線のポジションで勢いよく主旋律をボウイングする。(こういうヤツ)アパッショナートで前衛的でほんの少し眉を潜めさせるような厭らしさを含んだ音。聴いてる奴を不愉快にすると同時に意味をもたせたがるような恣意的で作為的な音。俺の思いが口に出たかのように一瞬玲は俺を見た。茶色い髪がゆれる。(なんで)という疑問符と絶対に譲らないという強い意志を込めた眼差し。そうしてほしいのはわかるけれど決して屈しないという意思を俺は丸ごと飲み込んでやろうと思う。どちらが先に折れるか競争しようじゃないか。ただ音楽のミューズに仕えてることだけはお互いわすれぬようにと優しく静かに彼女の旋律の後をなぞった。
ZEN

1964にこの世に生まれた香水を手にした。ZEN。私より年上の香水だ。日本が東京オリンピックに沸いた年に資生堂が世界へ発信した。掌に収まるほど小さい瓶に含まれたそれは懐刀の刃先のような鋭さを秘めている。和みや居心地の良さや曖昧さとは縁のない、真っ向から切りつけてくる刃先の煌めきを彷彿とさせる香り。トップの爽やかさは過剰な清潔さを想像させるローズやジャスミンのミドルノートはラストのモス、苔に散らされて小さな悲鳴をあげている。ひたむきな暗い野望を隠した香り。妥協を許さないという意志の満ちた香り。ひたすらに密やかに染み渡る香り。
潔癖さを突き詰めるとエロスを感じるのは何故だろう。折れない清廉さをあえて捻じ曲げてみたくなる野蛮な衝動に駆られるせいかもしれない。このZENを纏う女性には意図せぬ媚びを帯びてほしい。
藤棚 39
代わりにコルトーを彷彿とさせるロマン主義に情緒たっぷりの甘いパフェをだしてきやがった。
笑える。
俺はそのアイスの上にエスプレッソをかけてシナモンスティックを突き刺す。
タバスコ入り。食って吐け。そしてむせろ。速いテンポ。リズムはそのまま、音を半音上げて不協和音をかませて弓の掠れ音を加える。エロティカル。目くばせをして俺は二度足を鳴らす。
世界を呪え。ありったけの憎悪を込めて。俺が白藤菁爾に似てるのは顔だけだってことを思い知らせてやる。お前の兄貴のように聖人君子かどうか知らねえが優しい顔して世界をはかなんで
遠い異国で死ぬような繊細さなんぞ持ち合わせていないってことを知ればいい。
誰かの代わりになるなんぞまっぴらごめんだ。亡き王女のパヴァーヌが弾きたきゃ弾けばいい。付きあってやるよ。ただ、お前の兄貴のように泣く子をなだめる王子様になんぞ俺はなれない。
玲は俺を見てる。薄い色の目で、俺の想いを図ってる。俺の怒りのみなもとを探るように。
兄貴とのセッションとは違うことを感じてる。俺は目を伏せる。世界を呪え。
玲のパッセージが色づく。わずかに。ほんのわずかに。後を追うように俺はピチカートで誘う。
その小さな口から言葉を発するように音にしろ。なんでもいい。言葉にならなくていい。世界を呪え。お前の兄貴を殺した世界を呪え。じゃなきゃ、俺がお前を引きずり上げる。
第一ポジションから5まで一気に駆け上がる。こんな芸当そうはやらない。何も考えるな。俺は弓を持った右手を勢いよく引き上げた。
「玲。こいよ」
下唇を噛んで鍵盤をたたくヤツはまだ躊躇してる。何に?運命、調和、日常、神の、神の摂理、そういうお前を縛るものから逸脱することに。
「ジュエリーを買わない女性は幸せである」

「ジュエリーを買わない女性は幸せである」
これは私の持論である。彼女自身が幸せでなら、輝きを求める必要がない。なぜなら彼女自身が宝石のように光を放つから。
私の母はジェリーをよく購入した。理由は彼女の夫が常に午前様であったからだ。午前様という言葉を私は小学生の時に知った。12時を過ぎて帰宅する夫君のことだ。帰宅の遅い夫のせいで機嫌の悪い母親から逃れるため、私は部屋の隅で本を読んでいた。今では笑い話だが、そんな些細な出来事が子供の成長になにかしらの影響をあたえたりする。
私自身ジュエリーを買うようになったのは、三十路を過ぎた頃だろうか。私は、私自身に不満があった。本音を吐露する友人もいなければ、頼りになる夫もいなかった。私の存在は宙に浮かび、社会に誇れるものなどなく、不安定な心を抱えていた。
ゆえに輝きを外へ求めたのかもしれない。自分で初めて「ジュエリー」らしいものを購入したのは、クリスマス限定のリボンリングにペンダント。ネットを通して購入したそれは、私の気分を高揚させた。ネックレスと指輪をつけて、鏡の前に立ってみる。少し恥ずかしかった。でもジュエリーの重さの分、価値のある人間になったような気がした。
学校が嫌いだった。ズル休みをした日、アメジストの不思議なカットのリングを母は私に見せた。(これどう思う?)(うん。きれい。とても似合ってる)ベッドの上で私は彼女の夫が言うべきセリフを言った伝えた。母は一瞬の幸せに浸っているように見えた。
どうして自分はこうも宝石が好きなのだろう。ジュエリーの購入について悩んだことがある。おそらく一瞬の高揚感。もう一つはなにかの代償。それは穴に宝石を投げ入れる行為に似ている。買っても買っても埋まらない。あたりまえだ。本当に欲しいものは人とのつながり、と精神科医と作家の談話で読んだことがある。それではなぜ、私は他者の購入する姿も好きなのだろう。
私は他の人の宝石を購入する姿を見るのも好きだ。宝石を手にして得る高揚感を、他者も味わっていると信じているからだと思う。その幸福感は代償か欺瞞か純粋な結晶かはわからない。でもその一瞬は確かに幸福なのを私は知っている。
最近、私は自分の欲求に随分前に蓋をした。指輪に付属するさまざまな思い出とともに。
ジュエリーの記憶を写真とともに残しておきたい。私の思い出はみな美しいものばかりだ。幸運にも些細なトゲは眠ってしまえば忘れてしまう性質を持っている。
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調子の悪い日が長くつづいている。前の記事を読んでもらえればわかるだろうが、どうするすべもなく医者に薬を処方してもらった。まだ調整、バランスが取れていないのだろう、行動的になったり、かといえば長い時間眠ったり、妙に食欲が湧いてきたり。薬というものは不思議なもので、あの小さな錠剤に驚くほどの力が潜んでいるそして思いがけない作用を及ぼす。
幼い頃は頭痛など感じたことはなかったのに大人になって何かしら痛みを感じつつ生活するのが当たり前になった。部屋の清掃をしていたら思いがけないものを見つけたのでデータとして載せておこう。


夏休み中にホームステイした時の写真。地域のコミュニティー新聞で日本からやってきた子供達。と言った内容の記事。私の名前も適当に記載されているのが地域新聞らしい適当さだ。
金髪のシャローンに見つめられて恥ずかしがってるのが私。彼女になぜか好意を持たれステイ中一緒にいた時間が長かった。私の宿泊したのは日系二世の一家でサングラスをかけた彼女の家。私はそちらの女の子にベッタリだった。帰る際泣いてくれたシャローンは今はもうきっと立派なお母さんになってるのだろう。翌年、彼女が訪日した際、写真とはうって変わってすっかり大人の女性に変わったた彼女を見て酷く寂しかったのを覚えている。
VASILISA Re FLECT HYDRANGEA あじさい

雨の日の図書館の香りといえば伝わるだろうか。
夏を過ぎて秋の気配の感じる今日、ポケットにあじさいの香りをおさめる
図書館へ出向くのにすこし緊張するから。緊張することなんてなにもないのだけれど。
爽やかなレモンと渋みのある青みがかった苔の匂い。
本の森をかき分けて探し求める書物を見つける。
ぱらぱらとページをめくると手首からあじさいの香りがただよう。
この本を読んだのは昔のあじさいの花が煉瓦の塀をいろどる梅雨の季節だった。
私は図書館の窓からあじさいが雨に打たれる様子をじっと見つめていた。
薄青の花房。
そのひとはいつも定時に現れるのを私は知っていた。
電車を降りて繁華街を抜け緩やかな坂道を登ってくるその人の姿を思い浮かべる。
青い傘をさして、つまらなさそうな表情で。
重いカバンのなかにはラテン語の辞書が入っている。
なぜそんなものを借りたのだろう、カウンターでこっそり覗き見た書物。
あとは私の知らない言語の本を数冊と絵本が何冊か。
彼の左薬指には金の結婚指輪が光っている。
細くて洗練されたそれは見えない糸で誰かとつながっている。
私は天井をあおぎその糸の先、運命を示すその先を追った。
繊細で優雅な糸だった。だからあじさいのかおりは今手に取っているラテン語の辞書の香りになった。
遠い人、知らない人、名前も、何も。
そのくらいの距離がここちよい。
Vasilisaの瓶をすかして青い傘を見つめる。
ぱちんと音をたて、私は本を閉じた。
心的外傷について

心的外傷というとイメージが掴みづらいが、トラウマといえばわかりやすいだろうか。毎週土曜日になると、私は知人に無理やりスポーツに参加させられる。そもそも多人数での会話の苦手な自分が言葉を使わないコミュニケーションでしかも勝ちにいかなければならない野蛮な(ここでひっそり付け加えさせてもらえば原始的で洗練さに欠けた実に粗野な)スポーツというものに駆り出される苦痛を味わっている。私はくりかえし参加したくないと言葉で伝えているが、どうやら相手には全く伝わらないらしい。まれに人の言葉を己の都合のように解釈する人間がいる。嫌いといっても本当は好きなんでしょうと、延々と同じことを繰り返すレコードのように相手の言葉を正しく理解できない人間だ。そういう人はおそらく単一指向で自分の好きなものは相手も好ましく思っているに違いないとこちらから見れば天地がひっくり返るような思考で生活している。なので私がどう言おうと何を語ろうとどれだけ殴ろうと、相手は理解しない。
なおかつそのスポーツには金が絡んでいる。なにやら怪しい賭け事のようだがそれを公にすると問題なのだろう。プレイに参加している私にさえ詳細を伝えない。これも非常に腹正しい。虫唾がはしる。
拒否権もなく、詳細な説明もなく、犯罪の匂いのする競技に毎週参加させられ、サンドバックにされる苦痛を数年味わい、仕方なく私は、心療内科の門を叩いた。
自己判断に過ぎないがうつ症状の初期症状に似ているよう私には感じられる。診療医からその言葉を引き出すことはできなかったが、診断書を書いてもらうことは可能であるという答えを得られて胸を撫でおろした。食事療法、質の良い睡眠、散歩でリラックスをなど呑気な治療など必要ない。私は簡単に効率が良く短時間で無理なく回復したいのだ。私は医者から薬を処方された。白く塗りたる墓。これで下品な嘲笑を浴びるゲームと永遠に手を切れると思うと、経歴に心療内科により薬を処方されたなどという傷がついたところでなんてことはない。
水の入った洗面器に後ろから頭をおさえられ呼吸困難で死んだ子供がいる。私は死なない。何時間でも無呼吸で過ごせる薬を私は医者からもらった。そんなイメージだ。
にっこり笑顔をうかべつつ奥歯で薬と憎悪を噛み締めながら私は進んでいく。最後に焼け野原に屍をさらすのはお前たちの方だと密かにつぶやきながら。