藤棚 019

玲の頬が色づいた。目と瞳孔がわずかに大きくなった。俺は彼女の火照った頬を両手で包み込んで唇を重ねた。もうそれ以上死人の話をするなとでもいうかのように。全部終わったんだ。終わった話を繰り返したってどうにもならないだろう。舌先が彼女を求める。花の蕾を無理矢理こじあけるように蜜を求める。頑なな舌は俺を拒否する。それがどうだっていうんだ。両手にちからを込めて頬を固定する。そんなに死人のことばかり口走るなら俺の下で窒息して死んでしまえと念じた。
 
世界が色づき始めるのを知ればいい。
「玲」
俺は彼女の名前を呼んだ。
「玲」
両手で隠した顔に俺は呼びかける。想像し得る限りの優しさを込めて。
「俺を見て」
彼女は被りを降った
「恥ずかしがらないで。俺を見て。玲にキスしている間、音楽が流れてた。頭の中で。」
掌は顔を覆ったままだ。
「二つのヴァイオリンのためのパルティータ。俺は、たまに、あれをひとりで弾くんだ。どうしようもなく、腹の立ったとき、世界の全てを、呪いながら。」
俺は彼女の細い手首に触れ、深くため息をついた。
「俺は本当はこんなことがしたいんじゃないんだ。」
言葉とは裏腹に、身体が勝手に動いてゆく。
「ごめん、玲。」
彼女の両手をそっと包み込んだ。
「俺は、もっと静かで、優しい、キスがしたい。」
許してくれるのなら、平均律のような-------キスが。」
したい。という言葉は彼女の口の中で消えた。