藤棚 006

玲 3

 

「ほんと---------------なんでそんなヤツが自殺したんだろうな。」
独り言のように、考えてもらちのあかない疑問を弾くように言葉にしたとき、嵐がドアを引き剥がすような大音量が鳴り響いた。振り向くと勝手口に玲が立っていた。暴音はヤツがドアを勢いに任せて閉めた音だった。
風雨でびしょぬれの姿で突っ立ち、土間には箸や茶碗が転がっていた。
おやまぁそんなに濡れてしまっては風邪をひいてしまいます。タオルをお持ちしましょうねとおばさんが急ぎどこかへ小走りに消えたと同時に女が足を鳴らして俺に近づき「死ね」と前かがみに怒鳴った。
「死ね?」俺は聞き返した。
「死ね!」と今度は拳で俺の額を怒鳴りつつ小突いてきた。
「は?」
「とにかく死ね!」
この中学生みたいな女が一生懸命なにかしらアピールしているのは確かだがそれが何なのか俺には皆目検討がつかなかった。
ただ、間近で怒鳴られたことと、濡れた拳で額を触られた不快感に俺の苛立ちは平均値を上回った。
「いけしゃあしゃあと飯まで食って目障りだから死ねってか。お前んとこは客人をもてなす術もしらないのか。わざわざ遠方から来てやったのに食卓に誰もおらず独りで夕食をくわすなんてとんだご一家だよ、おまけに食後の挨拶に死ねときたもんだ。まったくお育ちがよろしいことで--------------倩爾ってやつもこんな家族にうんざりしてとっとと外国へ逃げ出して、何に絶望したのかしらねえがさくっと死んでさぞさっぱりしたことだろうよ--------------お前みたいなアホと縁切りできたんだも」
んな----------------と最後までセリフを吐く前に玲は椅子ごと俺を突き飛ばしにかかった。
「とんだアバスレのお嬢様だな。」
間一髪椅子から遠のくと俺は言った
「なぁ、俺ってお前の死んだ兄貴とそっくりなんだろう。吐く言葉は違えど双子みたいに似てるよな。」
「あんたみたいな下品なクズなんかとちっとも似てないわよ。」
「兄貴とそっくりの顔の奴がこの家にいてどんな気分がするわけ?死人が生き返った気分?それってどんな気持ち?本当は俺にあまえたいんじゃないの?兄さん兄さんどうして死んじゃったの??ーーーーーーーーまあ俺は兄さんじゃないから適当なセリフしか言えないけどな。でもせいぜいお前が満足するような甘ったるいうわごとでも吐いてやるよ。それでメソメソ泣くなら実に気分がいいってもんだ。」
玲は片手に刃物でも持っているかのように俺に襲いかかってきた。もちろん振り回す右手は力の入った拳だけで俺の胸元や脇腹をかすめるに過ぎない。中学生が地団駄を踏んで納得のいかない現実に駄々をこねてるようだった。正義を振りかざす拳は幾度も空を切った。俺がこの顔に生まれたのは全くもって俺のせいじゃない。なんだってせっかくの休日にこんなホラーゲームに付き合わされなきゃならないんだ。理不尽な怒りをやり過ごすのに俺は後ろ足で右に左に飛び退いた。相変わらず奴は学校指定の白いソックスを履いていた。よほど履き心地がいいのか、ただ単に好きなのかそれしか持っていないのか、進む方向と拳の切り先を見極めながらどうでもいいことを俺は考えていた。鼻にシワを寄せて鬼の形相で拳を振り上げてくる女は、見知ったばかりの俺に怒りをぶつけて何を発散しようとしているのか、まぁ理由を知ったところでだからなんだって話だ。俺にはどうしようもないことなのだから。それよりも上手いこと部屋に戻るにはどうすべきか、後退しつつ左右の砂壁に触れた。俺は廊下の突き当りに追い詰められている。古臭い家は廊下の幅も狭い。ヤツの足を薙ぎ払って倒れたところを跨いで部屋に駆け込むしかないだろうか。打撲の衝撃で多少なりともまともになりゃいいのにな。しかし子供のように小さな両足を蹴り飛ばす理性を残念なことに俺は持ち合わせてはいなかった。仕方無しに俺は叫んだ。
「お手伝いさん。ちょっと、なんとかしてもらえませんか。」
そうだこの家にはさっきまでこいつの他に人が居た。びしょ濡れの女のためにタオルを持ちに走ったおばさんがいたじゃないか。もう一度、今度は遥か先の廊下の端にまで届くよう大声で怒鳴った。
「-----------------こいつをどうにかしてもらえませんか。おれはここに、廊下の突き当りにいます。」
遥か彼方の、いくつもの障子の桟をこえたところに白い割烹着の端がちらりと見えた。居た、と安堵したのもつかの間、女の拳が目の前をかすった。
「だまれ。」
 (だまれ?)
なにをもって黙れとこいつは俺に命じるのか。めくらめっぽうに突き出す拳をよけつつヤツが左フックを俺の頬に当てようとしたすきを狙って俺はかがみ込むと仕方なくもうどうにでもなれと玲のウエストを抱え込んで肩に担いだ。あれだ、米俵をかつぐようにだ。
どうみつくろっても小学生並の体格に高身長の俺が背負ってよろめくとは思えなかった。実家のゴールデンレトリバーよりか小さい気さえした玲は想像どうり背中で暴れてもそのまま足と腰を押さえていれば持ち運びは可能だった。
「おまえさ、何をそんなにさわぐのか俺に教えてくれよ。」
意味をなさない叫びをあげて背中を叩くヤツに俺は云った。
「死ねとか黙れとか妙な音を立てて大騒ぎしたりとか、コミュニケーション不全症候群か。」
「うるさい。」
「--------------それな。初対面のヤツに言う言葉じゃないだろう。」
「初対面じゃない。」
「初対面じゃない?どこかで会ってたか?」
葬式か?葬式で会ったのか?全く記憶にない。
「違う。」
「違う?」
「昔。」
「昔?--------------どこで?」
それきり玲は黙ったきりだった。記憶を巡らせても思い出せなかったので仕方なく俺は教えてくれといった。
「忘れた。」
「忘れた?さっき初対面じゃないって言ったよな。おまえ適当なこというと---------」
スカートめくってパンツ見るぞと言い終わらないうちに首筋に肘打ちを食らってあまりの激痛に俺はその場に座り込んだ。言葉を発する前に逃げ出した彼女へ手をのばす。
(いつだ?いつ会ったんだ?)