藤棚 005

玲 2

 

 夕食に呼びに来たのはお手伝いさんだった。俺をこの部屋に通したのもこのおばさんだ。誰が俺にこの部屋を使うよう聞きたかったがやめた。可能な限り関わらないほうが良いと直感のサイレンが頭上に鳴り響いていた。最後の晩餐だ、多分。俺は仕方なく階段を降りてダイニングキッチンとやらに移動した。
 食卓のテーブルに用意されていたのはなんと一人分の食事だけであった。できたての湯気が上がっていただけありがたいと思うべきだろう。レンジでピンじゃないだけましだ、招かれざる客の扱いの酷いことよと俺は思わず口走っていた。(旦那様は出張で奥様のお帰りは10時頃になるかと。お嬢様はここでは食事はいつも摂られないので。)なるほど、それで俺ひとりってわけか。本当か嘘かはしらないがこれもまたどうでも良かった。飯を食ったら眠って明日には帰るだけだ。あのおかしな姉妹もそれぞれの部屋で夕食をとってるんだろう。家族団らんなんてイメージ皆無だものな。俺はもう二度とこの家の敷居をまたぐ気が無かったので洗いざらいお手伝いさん的なおばさんに聞くことにした。
(倩爾さんもここで御飯食べなかった?)
(坊ちゃまも離れで食事を摂ってました)
(離れ?)
(東の離れです。そこに練習室がありますので?)
(練習室?)
(ピアノのです。)
(ああ、俺のいる二階の部屋じゃなくて?)
(あそこには坊ちゃまはほとんど居りませんでしたので。)
(だから荷物がないのか。)
(日頃お使いになられていたものは離れにございますね。まだ手つかずで残ってますけれど。)
コンセルヴァトワールへ行くくらいだから相当上手かったんでしょ、ピアノ。)
(それはもう。-ーーーーーーーーなんといいますか、ひとつの音がこの世のものとは思えないほどにお上手でした。)
(へえ、まぁそれはそうだよな。動画ないの?)
(動画、ですか?)
俺はポケットからスマホを出すと白藤倩爾と検索をかけた。
(飯うまいね、つくったのは-----------貴方?)
(はい。)
コンセルへの出立記事は存在した。けれどもわずかだ。しかも数行。動画などあたりまえに存在しない。
(倩爾って人、高校行ってないの?)
(はい。中学を卒業されて、それからロシアへ行かれて、こちらの高校へは通ってはいらっしゃいませんでした。)
十五で海外留学か。ほぼ外人だな。
(たまに帰ってきてたんでしょ?)
(毎年夏と年末には帰っていらっしゃいましたよ。坊ちゃまがいらっしゃるとそれはもう華やかで家中の明かりがついたようでした。)
(------------子供があの玲ってヤツだけじゃ、陰気臭くて華にはならねえな。)
(お嬢様が静かでらっしゃるのは、倩爾さまがいらっしゃらないからです。----------仲の良いおふたりでしたから。以前はあれ程ふさぎ込んでいらっしゃいませんでした。)
仲の良かった兄が死んだらおかしくもなるかもな、というかそれが普通か。
(なんで死んだわけ?)
この質問はこれで2回目だ。
(------------詳しいことは存じ上げませんので。)
玲ってやつは知ってるのかもな。で、俺がその理由を知ったところで何になるんだ?腑に落ちてどうするんだ?
(俺に似てるって言われたんだけど、そう?)
お手伝いさん、的なおばさんは口元に手を当てるとにこやかに笑って言った。
(それはもう、うりふたつです。初めてお会いしたとき、坊ちゃまが帰ってきたのかと思ったぐらいです。)
伏し目がちななんとかが似てるってだけじゃなく、うりふたつ、なのか?
(------------写真、ないの?)
戻ってこられるたびに撮ってもらった写真があるんですよ、と割烹着からスマホを取り出し手早い仕草でさっと画像を取り出した。画面には二人が仲睦まじく寄り添っている姿が映し出された。俺は手のひらを口元に当てると空っぽになった頭でそれを見続けた。白藤倩爾という男は俺と双子のように文字通りうりふたつだった。
(------------嵯峨山様は、坊ちゃまに比べるとすこし、勇ましいといいますか---------倩爾さまは独特でいらっしゃいましたから、姿は似ておりますけどこうしてお話をお聞きしていますと、あまり似ていないような気もしてきます。)
他の画像も見せてもらったがどれも俺だと言っても間違えてしまいそうなほど似ていた。しかし雰囲気や話し方は全くの別人なんだろう。
(なんといいますか、物腰も柔らかくて、とにかく優しい方でした。私などにも気を使っていただいて。言葉少ない方でしたけれど、ただ、そこにいるだけで周りを明るくさせるような、美しい方でした。)
なんでそんな恵まれた奴が死んだんだろうな。多分俺みたいに椅子に片足乗せて頬杖をつきつつお手伝いのおばさんを見上げるような態度はとりはしなかっただろう。育ちと言葉が悪くてすまなかったな、こっちは庶民の末っ子で爺に忌み嫌われてるひねくれたクソ野郎だから生粋の坊ちゃん育ちとは月とスッポンだよ。