小説(仮)嵯峨山恭爾 004

「プロフの文章を変えたっていうのは、なんのプロフ?」
 
 これから来る演奏会のパンフのプロフィールに決まってるだろうが、と口から出そうなのを止めた。真一文字に閉じた口元から、答えが生まれるのを彼女は待っているようだった。視線が痛いぜ。俺の端正な横顔をいつまでも眺めていたって何も出てきやしないんだけど。
 
「つまり、紹介文と写真は作ったけれど、他は棚上げにしているという事だよね?」
「……」
「あれかな、久我山君は、他者とのコミュニケーションツールには手を触れたくないのかな。とすると、他者からの評価に敏感って事でいいのかな。うん。なんかプライド高そうだものね。あとすぐ怒りそう。何か言ってもすぐ怒りそう。でも絶対に怒ってる姿見せなさそう。にっこり笑って草原にふく風みたいな爽やかな笑顔を見せながら、ひどい事考えてそう。」
 
 それを聞いてさすがの俺も腹を立てた。そしてこんな風に?と少女漫画に登場するイケメンばりの笑顔で彼女を見てやった。雨の降る日に傘を忘れてついでに水溜りに突っ伏せばいいと念じながら。そうそう、そんな感じ。と彼女は腹を抱えて笑った。俺は(死ね)と再度念じた。
「いいか?俺はプロのヴァイオリニストなんだ。そんなもの、丸ごと外注すればいいだろうが。一時間だって、それこそ一分だって練習の時間が惜しいんだ。広告はその道のプロに任せるのがベストだろう。」
 
 俺の書く意味がわざわざあるのか、という問いに彼女はガシッと、文字通りガシッと両肩を掴むと
 
「ある」
 
と言い放った。
 
「貴方の言葉じゃないとダメなの。貴方の言葉が必要なの。貴方の音を聴きたい人は、きっと言葉だって聞きたいはず。誰かのお仕着せの文章なんて読みたくない。貴方の言葉は貴方の音楽と同じはず。」
だから書け、と肩を揺さぶり彼女は言った。金の双眸が射抜くように俺を見つめた。金の、縞目模様の瞳だ。一瞬、その縞目に心惹かれたというか、胸を突かれた。
 
「本当の貴方を伝えるために言葉を偽らないで。きっと、妙なすれ違いが生じているのだと思う。貴方と、聴衆と、貴方自身のあいだに、とか。」
とにかく、ネット上の露出を怠るな、と彼女は強く言った。ああ。と生返事を俺は返した。ネット上の露出?知るかそんなもん。
「次に会うまでに、必ずやっていないことの全てを終わらせてほしいの。」
 
 「出来たらやるよ。」行けたら行くよ、気が向いたらやるよ、やる気が沸いたらやっとくわ。気分が乗れば済ませておくよ。的な回答だな。広告変えただけで人が来るのか?なぁ。よくある騙された方が負けみたいな煽りにも似てないか?それともボランティアか?嫌がらせに近くもある。腹が減って鴨鍋が食いたくなってきた。夢でも腹が空くんだな。真実は緞帳の上がるまで知れないか、この女の意図も。(そろそろ戻るわ)(そうね)
 
 所詮夢だよどうでもいいか。目の覚める時にはザーッと軽い耳鳴りが襲う。この音のおかげで夢からうつつに戻るのがわかる。眠ったのかそうでないのか身体の疲れはとれるが頭はいつも妙に明確だ。耳鳴りが続いてるような気がして窓を見るとそれは雨の音だった。雨の日はいい思い出が無い。実家に戻った日もやはり途中で雨が降り出して、夜中に着いた時は車のドアを開けるのも躊躇うほどの土砂降りだった。いっそうのことぬれそぼったゾンビのごとく酷い有様で十年振りの実家のドアを叩くのも一興だ。訪れる全ての場所に破壊と禍いをもたらす嵯峨山恭爾の帰省だ。中二病と書かれたTシャツでも着てくれば面白かったか。らちのあかないことを考えるのは気が動転しているせいだ。もちろん事前に母親だけの在宅日を狙っての帰省だからなんてことはない、インターフォンを押すのだってこう、人差し指を立てて10センチ移動させるだけ、10センチ奥に、10センチ奥に、10センチ奥に……(ガーッテム)ヘディングシュートを決めるストライカーよろしく、オレはインターフォン目がけて思いっきり頭を打ち付けた。指で押せないなら頭で押せばいいじゃない?間の抜けた呼び出し音が扉の向こうで鳴っている。(猛犬注意)のシール。何も変わって無い。母親の問いかける声に、蚊のなくような小声で答えた。「俺。恭爾。今帰った。」