エフゲニー・キーシン その後

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無人島にディスクを1枚持っていけるとしたら、グールドのゴルトベルク変奏曲の一択である。日本人には結構あるあるな選択だと思う。
とりあえずグールドを聴けば安心するし、熟睡もする。出だしの一音を聴けば一瞬で四方は別世界に変わる。

 今、青澤隆明氏の「現代のピアニスト30」を読んでいて、その第一項目がグールドの紹介なのだが、”彼は饒舌であった”という一文に私は驚いた。そういえばYouTubeでもインタビュー動画が残されている。

青澤氏のグールド紹介は後日楽しみにとっておくとして今日はエフゲニー・キーシンの欄を読んだ。

 以前、キーシンのドキュメンタリーを観て、彼の演奏とその美しさに思わず感嘆の声を上げて筆を滑らせたことがあった。20代のキーシンは礼儀正しく美しく調和に満ちて神に愛されていた。40代に入ったキーシンを青澤氏はどう表現しただろうか。

不惑ハムレット」青澤氏の文は詩情に満ちて読み手を心地よい気分にさせるが、まれに言葉の迷宮へと誘う。それはそれとして、彼はキーシンを「不惑ハムレット」と名付けた。インタビュー時にシェイクスピアの作品のなかで何の役をやりたいかとの質問にキーシンハムレットと答えたという。男なら誰でも演じたいと願うのではないか、と。二十歳のキーシンの王子ハムレットなら是非観たいものだが何故ハムレットなのだろう。青澤氏もそれを不思議に感じたらしい。理由の書かれていないのが残念だが、生きるべきか死ぬべきかと運命に翻弄される役を、幼少期から神の愛を一心に受けた彼が演じてみたいと願うのもわかる気がする。縁のない不幸を味わってみたいのだろう。

青澤氏は20代の延長として40代のキーシンを捉えていた。20代時の輝くばかりの才能を鉄壁の守りで保守し表現し続けている、と。それは実にキーシンの真面目で優等生らしい性質を表していると思う。ドキュメンタリーでもお辞儀をする姿ひとつで彼の誠実さや音楽への敬虔な思いが伝わってくる。50代、60代と時を経て巨匠と呼ばれる時代、彼はどう変化しているのだろうか。

動画はキーシンのドキュメンタリー映像である。日本語字幕付き。1時間以上の動画だが、若きピアニストの眩しいほどの輝きが凝縮されている。ラストのイギリスでのライブは圧巻。

 

 

エフゲニー・キーシン : 音楽の贈り物 (1998年のドキュメンタリー)