美しい文字の綴り

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美しい文字の綴りについて。


 前に作家、青澤氏のピアニストに寄せる言葉をここへ記したことがある。詩のような、散文のような、眺めているだけでも心の透きとおってゆく言葉だった。
仕事を始めてから、私の心のなかでは美しい言葉に触れる世界と、現実の地に足のついた世界のふたつに別れ、それぞれ行き来できないことはないけれども、一度日常に深く染まると、透明な詩の世界へは簡単には移動できない。

ただ稀に、ふとした拍子にガラス細工に似た繊細な形を持った言葉に生活の中で出会うことがある。それは人の名前だったり、小説の題名だったり、詩の一文だったりするのだが、まさしく透明な世界から転がり落ちて足先や指に偶然にも触れるような出来事が起こる。そんなとき、心に響いた言葉を書き留めておくのが好きだ。書き留めて、触感を味わう。何度も触れているうちに、詩の世界への鍵となって扉が開く。例えば「音楽」という単語に「三島由紀夫」という単語が続く。これはかなり胸の高鳴る組み合わせだ。本のタイトルと作家の名前だが、三島由紀夫という字面は蠱惑的に響く。随分と魅力的な名前を考えたものだと感心する。個人的に三島の生き様は派手すぎて好みではないが審美眼には敬服している。文章も美しさの重量感に押しつぶされそうになるがまたそれがいいのだ。十代にしたためた「花盛りの森」これは若さの輝きがふんだんに散りばめられた滑らかな大木を思わせる。

話は戻るが「音楽・三島由紀夫」の内容について、これはかなり昔に手に取りおぼろに思い出すのみで記憶違いかもしれない。確か精神科医が患者を癒やす話だったように記憶している。なにをもって音楽と名付けたのか大切な部分を忘れてしまっている。それでもこの文字列は魅力的に今でさえうつるのだ。島田雅彦の「嬉遊曲」もそうだし、コクトーの「恐るべき子どもたち」、椎名麟三の「永遠なる助走」も。「永遠なる助走」という単語に高校時代の夏の間ずっと取り憑かれていた。思想的内容を取り扱った話だが、私にはモラトリアムと同義語だった。アガサ・クリスティの「終わりなき夜に生まれつく」これは別種の魅力がある。原題は Endless Night 。訳者に敬意を表したい。

図書館や書店で目に留まる文字はかつてほど多くはないが、それでも岸辺に投げ出された貝殻を探すように、美しい文字列を探すのは今でも楽しい。