ゴルトベルクバリエーションズ

ゴルトベルク変奏曲について書こうと思い立って私は楽器店に向かった。その店には結構な数の楽譜がそろっている。もちろんバッハのメジャーな楽曲はひと通り置いてある。私は例の、表現の難しい色合いの楽譜を手にとってページをめくった。

今は弾いてはいないが、3歳から十代の半ばまでピアノ教室に通っていた。週1回の教室は、当時は特別な思い入れもなく親の勧めるままに通い、習い、練習を重ね、ラストはショパンまで手が届いたけれどもピアノを弾くよりすべきことが多すぎて習い事は後回しになった。あのまま続けていれば良かったと、今になって後悔している。
そのおかげで楽譜を一瞥すれば、簡易な曲であれば指導も必要なく弾ける。ゴルトベルク変奏曲もアリアは問題なく弾けそうだと、スコアを眺めつつ考えた、けれども弾くことの楽しみを、正直私は味わったことがない。無味乾燥な料理を、言われるままに食べる感覚に近いだろうか。なのでひとり椅子に座ってアルペジオの練習から始めるのは苦行でしかない。よって演奏はもうしてはいない。

私がスコア本で読みたかったのは前書きだ。ページをめくってまずは難解で美しい文字列が目を惹いた。それはとある医者が楽曲を評した詩だった。興味のある人は読んでほしい。バッハの深遠なる宇宙についての美しい文が刻まれている。
ゴルトベルク変奏曲について興味深い情報を探すためにスコアの前書きを読んだけれども、すでに知った事柄が記されているだけだった。不眠症に悩む伯爵のために作曲したとかなり大雑把にいえばそんなことが仔細に書かれていた。

 安眠効果はある。私は眠りに就く前にこの曲を流すことが多々ある。演奏者はグールドやリヒテルに決めている。アリアで始まりアリアで終了する1時間弱のディスクを聞いているうちにいつしか眠ってしまうのだ。グールドのゴルトベルクの録音では2種のうち1955年録音のデビュー作を聴いてもらいたい。このディスク以前・以降等、バロック音楽演奏の歴史を変えた作品だと私は位置づけている。このディスクには作曲された1741年当時の色合いや空気、バッハが密かに加えたかもしれない思想などは存在しない。あるのはグレン・グールドという演奏家の魂のあり方だけだ。この件については又別途書きたいと思う。とりあえず、不眠症に悩むクラシック好きには、聴いてもらいたい一曲である。