マーラー九番

カラヤンの指揮するマーラーを聴いた。マーラーの楽章は、美しいものは例えようもなく美しい。アダージェットなど朝焼けの空のようなグラデーションを音で感じる。ただその他の楽章は理解しがたい不明瞭さがあって、マーラーを聴こうという意気込みを持ってしても、全楽章を聴く事に躊躇する。

独立したひとつの作品として、例えば絵画のように枠で囲った芸術作品としてではなく、流動的な、時間軸を超えた侵食性を持っているように感じる。マーラーという作曲家の精神が純粋に音としてそこに存在しているとでもいったら良いのか。よってある程度の覚悟を持ってマーラーを聴いた方が良いと最近私は思うようになった。世紀末のウィーンにて、当時の人々はどの様に接していたのだろう。グスタフ・クリムトエゴン・シーレの芸術の花咲く都でマーラー交響曲は聴く人の耳にどの様に響いたのだろう。交響曲第九番の最終楽章は、先に書いた通り例えようもなく美しい。消え入る音のいつまでも心に残る静けさの中の儚さを、私は記憶に留めていたい。