読書「ドルジェル伯の舞踏会」

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ドルジェル伯の舞踏会」は主人公フランソワ・ド・セリユーズとその知人アンナ・ドルジェル伯爵、マオ夫人の3人の奇妙な三角関係を描いた小説である。発行は1924年、夭折の天才レイモン・ラディゲが二十歳の時の時に遺した絶筆になる。

 小説の主題は、はじめに明記されている。

「純粋な魂が無意識のうちに弄する奸計は、はたして悪徳がはりめぐらす策略より奇異でないといえるだろうか?」

「純粋な魂」をマオ夫人に、「奸計」を道ならぬ恋を成就する方法に、「無意識のうちに」行われる策略をちりばめ、「奇異であるか否か」問う実験を作者は試みようというのだ。ここでの「奇異」は普通と様子が異なっていることを指すのであろう。マオ夫人の行動が読者から見て奇妙な様子をではないかなどの意味合である。

 なぜ作者が上記の命題を提示したのか、ひとりの読者として答えを導き出す試みを行う。

 マオが恋に落ちたのは、フランソワにはじめて会った晩のダンスホールである。踊り疲れてフランソワの隣に腰掛けた彼女は、夫の作ったカクテルを飲む。トリスタンとイズーの媚薬になぞらえた酒を飲み干したのは彼らだけであった。すぐにマオはフランソワを意識し始めるが、恋の萌芽は母親めいた庇護欲にとって変わってしまう。その後も純粋な魂は意識化にのぼる恋心をことごとく無意識内に封じ込めていく。物語のラストの間際にようやく彼女はフランソワに恋をしている己に気づくのだが、きっかけは嫉妬心からであった。始まりと終わりの契機が嫉妬であるのは意味深長である。

 恋愛感情を自覚した彼女は覚悟を決めてフランソワの母親に思いの丈をしたためた手紙を送った。ご子息に恋をしていると、そして彼にもう二度と私たち夫婦に近づかないでほしいと約束させてくれと。これが作者のいう「奸計」である。マオは名誉を守りつつ巧みにフランソワへ気持ちを伝える手筈を整えたのだ。この行動が奇異でああるか否かと問われたら読み手は奇異であると答えるだろう。不実の恋の相手の母親に互いの仲介を頼むのは常識の域を超えている。

 17世紀、心理小説の原型と後世に謳われた小説が発行された。「クレーヴの奥方」と題されたその宮廷恋愛小説はドルジェル伯の舞踏会のベースであると一般的に言われている。マオのプロトタイプのクレーヴの奥方も作品内で胸に秘めた恋に悩み、結果、夫に他者への恋情を告白することになるのだがそれは徳の高い貞女の鑑の行為として受け入れらた。

 告白の結果、クレーヴ公は嫉妬のあまり床に臥して亡くなる。彼女の高邁で勇気ある行為は彼女を最も愛した男性を死なせた。ドルジェル伯夫人の場合はどうだったか。物語のラストシーンである。いてもたってもいられなくなったマオはまるで怒った人かのようにアンヌへフランソワへの愛を打ち明けた。クレーヴの奥方と同じだ。それをきいたアンヌはしかし何も感じなかった。妻を愛していないような気がした。あなたは子供であり無意味な取り越し苦労をしているに過ぎない、フランソワの母親に手紙を送ったのはマナー違反であり、馬鹿げている、取り繕う方法を考えないといけない。彼はクレーヴ公のような取り乱し方はしなかった。マオは己が愛されていないのだと覚めるように気がついた。

 作者の残酷な一撃である。奇異なる行動に対する応酬だ。作者はアンヌ伯にはクレーヴ公の同じ轍を踏ませなかった。かわりに実に面倒くさそうに幕引きのセリフを吐かせる。すべてを忘れ眠ってしまいなさいと。この物語は男性の、純真さを装い、奸計をめぐらしつつ、清廉・潔癖さを盾に懦弱さに満ちた女性への復讐劇とも読めるのではないだろうか。絶望に彫像と化したマオがその後どのような歩みをすすめるのかは読者への想像にゆだねられる。