初歩の初歩 東山名所図屏風 細見美術館

せっかくでかけた美術館で得るものが無いのは悔しいので掠める程度に勉強してみる。一隻(いっせき)の屏風を観て時代と場所程度がわかれば御の字とする(レベル高いかな)おいおいここに書き連ねていけば自ずと様々なことが理解できると期待している。

1 東山名所図屏風

東山名所図屏風

 

右から第一扇、第二扇にかけて三十三間堂、次に方広寺大仏殿が描かれている。作成は桃山時代織田信長豊臣秀吉が生きた時代なのでもう400百年前の絵を上手い下手だと言う気はないけれども西洋だとラス・メニーナスの描かれたバロック時代だそうだから日本絵画について誰も突っ込まないのは自国民の優しさなんだと思う。多分。

三十三間堂方広寺との位置関係

実際の三十三間堂方広寺は南北に位置しているので鴨川から観た様子を描写しているのだろうか。この時代だと御所からの眺め、または御所を仰ぐ位置からの描写が決まりごとのような気もするけど、とりあえず東山にある目立つ建造物を配置して金箔貼って華やかにしておこうよ、という描き手の意図が素人である私の胸にせまる。きっとそんな感じでミスした部分に金箔貼って隠したりしてるはず。

奈良の大仏を超える仏がこの方広寺に建設、それを指揮したのが豊臣秀吉。1595年の大地震で倒壊した際秀吉がどんなアクションを取ったのか気になったので調べてみたらこんな地震も予期できぬのかと仏像に矢を放ったというから天下人らしいといえばらしい。すでに朝鮮出兵を開始していたのでこの頃の秀吉は疾患をさらにこじらせた取り憑かれた晩年だった。

 

左隻には清水寺、八坂塔、祇園社、と並ぶ。これも鴨川から見た眺めだとまぁまぁ納得がいく。京都東山名所図案内的屏風とでもいえばいいのか、安土桃山時代これを作らせることのできるのは大名か名刹ぐらいだとしか思い浮かばない。