さて二日目である。もちろん日本美術の知識は増えてはいないので昨日の続きのような文章になる。北野社頭図屏風は江戸時代初期に描かれたものらしい。東山名所図屏風よりも建築物は厚みがあり立体的で人びとの様子も細かに描写されている。相変わらず金箔面は広い。雲も地面も金箔なので馬が空を飛んでるのか地面を蹴っているのかチラと見るだけでは混同してしまう。
題名の「北野社頭」とは「北野天満宮の社殿の周辺」という意味である。当時(といってもこの絵が過去を振り返ったものか当時を描いたのかは不明)京都でもっとも賑わったのが北野天満宮だというから、現代では渋谷あたりの日常を描いたものだろうか。御所との位置関係は下の通り。歩いて約30分。
北野天満宮は広い。現在の配置図は下図の通り。
1700年代の北野天満宮配置図。
配置図の北を右にして描いたものが屏風全体の構図だと思われる。画面手前の門が東門、一の鳥居は屏風の左手に白い鳥居として在る。屏風中央の門が三光門。そこでは着飾った女性たちに若者が声をかけているなんとも微笑ましい図柄が目立つ。男女の出会いの場であったのだろう、宮の周囲にはなんと出張髪結所のような店もあった。いつの時代も異性に良く見られたいのは変わらない。
緋毛せんが目を惹く四扇目は花見の人々の描写である。梅と桜が同時に花開く姿は滅多にお目にかかれないが京都では今もそれが可能らしい。幔幕で囲われた中ではひときわ豪華な衣装を身につけた人々が銘銘好きなように戯れに興じている。
かるた遊びを楽しむ少女達に笛を吹くお坊さん、華やかな卓を挟んで向かい合う若衆は何をしているのだろう。酔った勢いなのか睦み合う恋人達。着物の物売りか衣装談義に花を咲かせているのか寝転んだ女人にそれを見物する男衆。幔幕内の花見は今の時代よりもおおらかである。