洛外図屏風 細見美術館

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 よく耳にする洛中洛外図屏風。今日の画像は洛外図屏風だがそもそも洛中・洛外とはどの場所を指すのか。おそらく洛中とは京都、洛外とはその外となのだろうが明確な線引があるのか調べてみると豊臣秀吉の京都整地によって洛中・洛外が区別されるようになったらしい。御土居堀(おどいぼり)という城壁で区切りその内を洛中、外を洛外とした。

史跡御土居

グーグルマップで重ね合わせると下図のようになる

赤枠が御土居

 

鴨川を堺とした東側が洛外・東山である。屏風には豊国廟、三十三間堂方広寺大仏殿、清水寺八坂の塔祇園社知恩院、などが描かれている。東山名所図屏風と同じく北側を右に位置して鴨川を下に描くのは決まりごとなのか名所の配置具合がよろしいのでそうなるのか。

 画面中央は四条河原の能楽堂で葵の上を上演中。目立つ家紋はどうやら丸に四方剣花菱に似ているが能楽との関係はわからず。

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