加茂社競馬図屏風 細見美術館

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 加茂社とはいずれの神社を指すのか調べてみると、どうやら

加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ 通称:上加茂神社)と

加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ 通称:下鴨神社

のふたつの神社を合わせて呼ぶらしい。ふたつ合わせて呼ぶならば隣り合って、もしくは道路の斜向いに在るくらいには近いのかと思いきや京都御所の北、お互い歩いて約40分の場所に位置している。

上加茂神社と下鴨神社の位置

 そもそもなぜふたつに別れたのか、この謎を解くにあたって一冊の本を読んだ。神道学者、三橋建著「日本書紀に秘められた古社寺の謎」である。簡単に説明すると794年に平安京の遷都される以前から山背の国に深く根を下ろしていた加茂氏の氏神が加茂神社の祀神であり名称を賀茂神社(現 加茂別雷神社)と言った。賀茂神社の成り立ちについて公式サイトに美しい画図とともにご神話が明記されている。

御神話 | 賀茂別雷神社(上賀茂神社:かみがもじんじゃ)公式Webサイト

 ふたつにわかれる理由はこの神話からはじまる。神の子を生んだ娘が天にのぼったその子にひと目会いたいと願ったところ、御子は 「1.天羽衣、天の羽裳をつくり 2.火をたき、鉾をささげ、3.走馬をかざり 4.奥山のさかきをとって阿礼(榊に綾絹や鈴などをつけたもの)に立て 5.種々の彩色を垂らして 6.葵楓のかずらをつくり、7.おごそかにして待っていてください。」と伝える。その託宣を受けた後すぐに加茂神社が建立され、1~7を言葉どおりに実行したのが後の加茂際(葵祭)となった。

 色鮮やかな布が薫風になびく5月、葵の葉の蔓をまきつけた烏帽子姿の男子がはじめはおごそかに御子の地上に降り立つ祭祀を行っていたかもしれない。けれども飾り立てた駿馬や鋭い鉾に煌めく炎なぞみていると自然と心はやるのだろう。賀茂祭は年を負うごとに盛大になり勢いを増してくる。その様子を鑑みて朝廷は賀茂神社を上下ふたつにわけることとした、らしい。なるほど、そう考えると徒歩40分の距離も納得がいく。

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賀茂競馬(かもくらべうま)現在は5月5日に行われる祭り。図を見ると数人で馬を制御する様子が描かれてる。これからレースに出る前の2頭を制御しているのだろうか。

 

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市女笠姿の女性見物人も見受けられる。向いている側がおそらく競技場。

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貴賓席と待つ馬2頭。