小説(仮)嵯峨山恭爾 008

 
 話があちこち飛んで読んでるヤツには申し訳無い。流れ的にはなぜ実家に天下のストラディヴァリウスがあって、いかにしてそれが失われたのかって話を書くのが筋なんだろう。だが過去に遡ってその記憶を思い返すたびに、オレは抑えきれない破壊行動に駆られてしまう。時の経過はその衝動をいくぶん軽くしたけれども、未だにモノや自分自身へのその衝動を全て抑え切る事はできていない。他者を傷つけていない分マシなんだろうが、間接的にはどうなんだろうな。
 
 あの日以来、オレは無口になり、感情を表に出さず、素直では無くなった。言うべき事と真逆のことを口に出すようになった。行きたいと願っても行かなくなった、話す機会があっても話さなくなった。著名な演奏家が何年かぶりに来日して対談する機会があった時もだ。自宅に引きこもって眠り、目覚め、飯を食い、弾いた。弾き終えた後、いくつかの楽器を破壊した。その頃の記憶は靄の中だ。人の勧めでカウンセリングに通い、どうでもいい思い出を語り、問題の箇所にいきつくと、わざとオレは出された飲み物をこぼして中断させた。にっこりと微笑みすいませんと謝罪するのを数度繰り返したら次から飲み物は出なくなった。
 
 何もかも面倒になってオレはカウンセリングをやめた。医者も友人も家族もその他諸々について信用できなくなった。あのときインドにでも行ってガンジス川に潜って人生観を変えたりすればまた違った生き方もあったんだろう。だがオレはガンジス川に潜るかわりに人生の闇、運命のへこみのようなものの中に浸りきった。そんな目もあてられぬ日々が半年ほど続いたと思う。その間閉じたきりだったカーテンを颯爽と開けにきたのは友人の吉野だった。(死んでいるかもしれないってきいたからさ)その言葉はもちろん冗談だったんだろうが真実生きてる心地がしなかったのは確かだった。こんなときどうすればいいのだろうな。手にするはずのストラドを失って自暴自棄になって部屋にこもって数ヶ月も陽の光も浴びずろくに食事も摂らず眠らず朝なのか夜なのか定かでない狂った時間のなかでガラクタとゴミの中に埋もれて立っている自分を見たときの彼の顔をオレは未だに覚えている。吉野の表情はひどく嬉しそうでにこやかだった。奴と一緒に現れた季節の風が、部屋の籠もった空気を一掃した気がした。カーテンを開けると外は夏だった。
 
 (こんなときどうすればいいんだ?)オレはダイニングテーブルに腰掛けて彼に訊いた。テーブルの上には今始めて見る得体のしれないガラクタが山積みだった。当時吉野はオレがおかしくなった経緯を詳しくは知らなかったと思う。(業者に頼むのがいいんじゃないのか?)部屋を整える事について彼はコメントした。ーーーーそうではなくて、これから先、どう生きていけばいいんだ?ーーーーオレの問いかけはそんな意味も含まれていたけれども、もっと身近な、具体的な助言を求めた。
 
(自己管理からはじめよう)ああ。ここまで崩れ落ちて管理なんか今更できるか、唐突すぎる。と心中奴を罵った。見てみろ、この有様で何をどう始めるんだ?吉野は賢い。それは知っている。掛け値なしにオレを素直にさせる数少ない人間の1人だ、けれどももう何もかもが辛いんだ。両手で山のように積まれた、いつ出したのか買ったのか訳のわからない荷物を薙ぎ払って、額をテーブルに押し付けた。ざらざらと物が床に落ちる音がした。
(お前のところのお袋が心配してたぞ)
部屋のどこかで携帯の鳴っているのはわかっていた。
(仕事の電話に出ないのはまずいんじゃないか)
人と話すのが億劫だった。
(演奏予定はどうなってるんだ)
それだけは事前に長期の休暇を取っておいた。誰にも迷惑はかけていないはずだ。
もうどうだっていいじゃないか。真実、オレはこれ以上世界と関わって生きていく気力というか強い意志を持ち続ける事は不可能な事のように思えた。かといってなし崩し的に演奏を辞めるのは屈辱だった。誰かに助けを求めるのはそれ以上に苦痛を伴った。この苦痛と難局を乗り越える、もしくはすり抜ける術があるはず。前進か後退かアンビバレントな感情に苛まれて息も絶え絶えな状態に終止符を打つがごとく額をテーブルに打ちつけた。