花盛りの部屋


 レディMはその花に満ちた部屋に私を通すとしばらくここで待っていて下さい。そのあいだに心を落ち着けるといいでしょう。と云って出ていった。
息のできるのが不思議なほどにその部屋は花々に満ち、私の腰掛けたテーブルにさえお茶を乗せる隙間もないほどに植物が侵食していた。
しかしよく考えてみると、花は二酸化炭素を吸い酸素を吐き出しているのだから、私の息のできる量は十分すぎるはずなのだ。ただ部屋の広さに比べて植物の繁殖加減が尋常ではないので、落ち着かない感覚を得てしまうのだ。
 足元に忍び寄るシダや耳元で垂れるエビネの花になるべく肌を触れないよう、できるだけ小さくなってしばらくの間は椅子に腰掛けていたのだが流石に我慢ができなくなって見咎める人もいないようなのでツタに絡まれた部屋の隅の本棚まで、草木をかき分け進み一冊の本を手元に再び椅子に腰掛けたのだった。

 全くなんて有様なのだろう。呆れた話だと形容するのはこの部屋ではなく私の今の立場だ。先程まで私はHという人間と喧嘩をしていたのだった。なぜそんな状況になったのか数時間前の記憶を辿ろうと試みたがすぐには思い出せなかった。これは最近よくある現象なのだ。健忘症とは異なる。もちろん老化現象でもない。なにかしら原因があるのだろうが、自分自身のことであるがゆえか自覚できないでいた。怒りの最初の原因の記憶がないのは、これで数度目だ。偶然やなんとなくで片付けられる事象ではない。しかし手がかりの糸さえつかめない。私はこめかみに当てた手を額に移動させてそれから両目を塞いだ。何も知りたくないという願望だ。ため息とともにそれでも仕方なく記憶を探る。発端は何だったか?時間はいつだ?どこで始まった?すりガラスの向こうの出来事が少しづつ明らかになる。何を言われた?どう言い返した?そのとき何を感じた?私は何をやった?その結果は?「花言葉辞典」という先程取り出した書物をめくりながら記憶を探る。意味もなくページはめくられていった。その容量の分、うんざりする出来事の記憶が重なって思わず唸り声を上げそうになった。
 私はHという人間が好きなのであった。それは周知の事実でありながら私自身決して認めたくない感情であった。己の感情を認めず常に行動を制御する理性を持ち合わせていればよかったのだ。しかしその器用さを手にするほどに私の情感は成長してはいなかった。人生の経験値は年齢に比べ同等とはいい難いほど浅く少なかった。(なんだってこんな目にあわなければいけないのだろう?)腹立ち紛れに部屋を飛び出て数マイルはある門扉までの距離を叫びつつ走り息も切れ切れになったところで、しょぼくれて(そのようにみえるだけなのだが)歩く私を通りすがりに広い車で拾ったのがレディMであった。その車は黄色いオープンカーで革張りのシートと共にひどく光って見えた。美しい車ですね。と私は彼女に言った。買ったばかりなの。と彼女は返答した。サングラスをかけて往年のハリウッドスターのような姿に見えた。また喧嘩をしたの?と尋ねられたときはその言葉の示唆するところを考えふと頬が赤くなった。家と家の距離が近ければ喧嘩の内容を貴方に話す手間も省けていいのですけれども。と返しつつまたというのはつまりいままでの言い争い、主に私が罵倒しているだけなのだが、その出来事を彼女は知っているということだ。どういう経緯で知ったのか不明だがおおよその検討は付く。何故知ったのか、という問いを発するのは馬鹿馬鹿しかった。同時にどうでもよく、またはらただしくもあった。
 初夏の太陽は燦々と車内を照りつけ、どのくらいで屋敷につくのか、舗装されていない砂埃の舞う田舎道を器用なハンドルさばきを魅せる彼女に問うた。あと少しよ。この道を真っすぐ行って下り始めると見えてくるから。彼女はひどく豪華な屋敷に住んでいるのだった。Hの住む屋敷にもひけを取らない綺羅びやかさだった。かつて一度、何かの祝い事があってその屋敷の前を通り過ぎるときに部屋の窓からのぞくシャンデリアの見事な姿を垣間見てため息をもらしたことを覚えている。それはムーラン・ルージュでヒロインが登場するシーンのシャンデリアにひけをとらない造形であった。
 HとMは父方の従兄妹でありともに仲がよく、主にHがMの自宅を訪れて数時間も滞在することがあった。友人は多いが胸襟を開いて語る人間は皆無であったHの、貴重な話相手の知人のひとりがMであった。私は、母親の異なる、Hとは兄妹の間柄であり、長い期間異国で暮らしていたためこの国の文化にはまだ馴染めずにいた。Hの事となるとどうしても私は筆が進まない。おそらく喧嘩の内容もよく覚えてはいられないことと根は同じだ。やはりこれも解決への答えはしばらく出せそうにない。
 情けない犬のように歩いていた私を拾って、この奇妙な部屋に通したMの思惑を知ったのは、「花言葉辞典」のページを半分以上めくり終えた頃であった。ノックとともに現れた彼女は衣装を着替えてすっかりリラックスしたいでたちだった。何十とある部屋の一室、まさかどの部屋も植物に埋もれているわけでもあるまい、温室のような部屋に通されたのは、彼女いわく、花には人を元気にするエナジーがあるという。植物の力は人を癒やしもするというのだ。そして自分の育てたハーブからとれたお茶を飲めとさしだされたそれはとても爽やかな香りがした。琥珀色のお茶に可愛らしい葉が数枚浮かんでいた。鎮静作用もあるというので私の交感神経も鎮めてくれるはずだという。静かに何かを考えたいときはこの部屋にくるの。と彼女は言った。植物が邪魔で気に障らないのだろうか?という問は唇の先で止めた。代わりに植物が好きなのですね、という無難な質問に変えるとそうなの、とても好きなのと屈託のない笑顔を見せた。そして身近に触れる草花を大切そうに手に取り、その名と特徴と花言葉を説明するのだった。そのときの言葉を私は残念なことにひとつも思い出せはしないのだけれども、低い心地の良い声と、茎をつまむ長い指先と、高い天井から差し込む窓の光だけは鮮明に思い出すことができる。夏へと進む空気を切り取った、きらめきの瞬間だった。夏は、この国の夏はあまりに暑く、そして感傷に満ちている。まだ数度目の夏だというのに、この国の夏の時期が私はすでに苦手なのであった。